日本における基礎教育の教材の変遷-江戸中期から明治初期へ-

碩士 === 中國文化大學 === 日本語文學系 === 103 ===  江戸時代には幕府直轄の昌平坂学問所をはじめ、諸藩が成立した藩校、庶民階級を対象として設立した手習塾など、様々な教育機関が設立され、どの階級の人々も学習することができた。その中で、特に注目すべきなのは手習塾である。手習塾は庶民を対象とし、基礎知識を教える教育機関で、江戸末期になるとその数は1万をも超え、教育の普及と識字率に多大な影響を与えた。明治時代に入ると、政府は明治5(1872)年に最初の近代的教育制度「学制」を発布し、小学校や中学校など様々な公立な教育機関を設立した。特に政府が重視したのは小学校であり、5万校以上を...

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Bibliographic Details
Main Authors: Cheng Mu-Chia, 鄭沐嘉
Other Authors: Lin,Meng-Jung
Format: Others
Published: 2015
Online Access:http://ndltd.ncl.edu.tw/handle/r8kevu
Description
Summary:碩士 === 中國文化大學 === 日本語文學系 === 103 ===  江戸時代には幕府直轄の昌平坂学問所をはじめ、諸藩が成立した藩校、庶民階級を対象として設立した手習塾など、様々な教育機関が設立され、どの階級の人々も学習することができた。その中で、特に注目すべきなのは手習塾である。手習塾は庶民を対象とし、基礎知識を教える教育機関で、江戸末期になるとその数は1万をも超え、教育の普及と識字率に多大な影響を与えた。明治時代に入ると、政府は明治5(1872)年に最初の近代的教育制度「学制」を発布し、小学校や中学校など様々な公立な教育機関を設立した。特に政府が重視したのは小学校であり、5万校以上をも設立し、教育の普及を図った。また、文部省が「學事獎勵ニ關スル被仰出書」を公布し、限られた身分だけ教育を受けることができた江戸時代と違い、階級や性別に関わらず、誰でも教育を受けることができるようにした。これは教育面においては非常に重要な改革だと思われる。  そこで、本論文では、手習塾と小学校を取り上げ、二つの教育機関と教材について分析していきたい。本論文は6章に分けられ、内容は以下の通りである。 第1章では、まず本論文の研究動機を示し、次に先行研究を分析し、問題点を取り上げ、どのような研究方法を行うのかを述べた。第2章は手習塾の歴史、実態、教授法など手習塾に関する基礎知識について説いた。第3章では、筆者は手習塾で用いられた教材を「基礎教育」・「日常知識」・「専門書」・「教訓」・「漢籍」5教科に分類した。それを更に基本的な教材から専門的な教材まで、詳しく分析し、どのような特徴があったのかを明らかにした。第4章ではまず、明治前期の教育制度「学制」について説明し、次に、「学制」が定められた教育機関である小学校の制度、授業法などについて説明した。第5章は、明治6(1873)年に師範学校が制定した「下等小学教則」と「上等小学教則」の中に定められた小学校の教材について、どのような内容なのか、どのような特徴があったのかを明らかにした。最後の第6章はまず第1章から第5章の分析した結果をまとめ、次に、江戸時代と明治時代の教材を比較し、どのような変遷があったのか、その原因について説いた。最後に本論文の分析結果を明らかにしたうえで、残された課題を提示した。