The View of Chanoyu in Early Modern Japan:The Case on Modernization of Urasenke and Intellectuals’ Theories of Chanoyu=近代日本の茶の湯観研究―裏千家の近代化と知識人の茶の湯論を例として―
碩士 === 靜宜大學 === 日本語文學系 === 107 === 「茶の湯」の源流は日本の室町時代(1336-1573)に遡られる。茶の湯は元々15世紀初頭に唐物の飾りを重視している「会所の茶」から発展されたものである。さらに、15世紀中期に村田珠光が茶の精神に注意しはじめ、16世紀まで千利休が「わび茶」として大成した。「わび茶」は、茶の湯の美意識と認められている。また、千利休も茶の湯の慎重性を重視している。中世に発展した茶の湯は、近代において別の様相が現れたと思われる。すなわち、中世の茶の湯の観点や意義には、明治維新(1868)の西洋化と近代人の思考による変化が見られた可能性がある。 本...
Main Authors: | , |
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Other Authors: | |
Format: | Others |
Published: |
2019
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Online Access: | http://ndltd.ncl.edu.tw/handle/cbq6m6 |
Summary: | 碩士 === 靜宜大學 === 日本語文學系 === 107 === 「茶の湯」の源流は日本の室町時代(1336-1573)に遡られる。茶の湯は元々15世紀初頭に唐物の飾りを重視している「会所の茶」から発展されたものである。さらに、15世紀中期に村田珠光が茶の精神に注意しはじめ、16世紀まで千利休が「わび茶」として大成した。「わび茶」は、茶の湯の美意識と認められている。また、千利休も茶の湯の慎重性を重視している。中世に発展した茶の湯は、近代において別の様相が現れたと思われる。すなわち、中世の茶の湯の観点や意義には、明治維新(1868)の西洋化と近代人の思考による変化が見られた可能性がある。
本論文では近代の茶の湯観を明らかにするために、裏千家の近代化と知識人の茶の湯論を例として進めた。裏千家は千利休の茶の湯の精神を継いで近世に発展した家元であり、近代になると、中世文化とする茶の湯を文明開化の風に合わせるために、いろいろな茶の湯の改革に着手した。家元らは先祖の利休の茶の湯の伝統を保ちつつ、近代にふさわしい茶の湯の生き方を課題とした。一方、近代の知識人には、自身の知識と経験によって大衆に日本文化の評価を伝えるという役割があった。茶の湯もその例外ではない。裏千家と知識人は近代の茶の湯の復興に勤めたのである。よって、本論文では裏千家と知識人の茶の湯に対する見方はどのようにして現れるのかを明らかにし、近代の茶の湯観の一部を探究することした。
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