My Japanese Language and Han Identity in Dialogues and Writings
碩士 === 東海大學 === 日本語文學系 === 98 === この物語はある台湾の「日本語学習者/漢人」が述べていた、彼女自身に関するお話である。 最初から今まで、日本語を学習することは彼女がもう14年に続けていた。しかし、やがて最後には彼女は「日本語の達人/台湾人」になってなかった。社会の資源と親の心血を無駄になさせたなんて恥かしいと思うはずなのに、日本語学系を卒業した学生として、将来の就職のために自分の日本語能力を早く上達になさせないまま、日本語能力が下手なんて別に悪くないことだと正々堂々と言えてしまった。 この前の数十年間に、彼女はずっと「日本語」のことを追い掛けていた。...
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Format: | Others |
Published: |
2010
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Online Access: | http://ndltd.ncl.edu.tw/handle/87053136325071179897 |
Summary: | 碩士 === 東海大學 === 日本語文學系 === 98 === この物語はある台湾の「日本語学習者/漢人」が述べていた、彼女自身に関するお話である。
最初から今まで、日本語を学習することは彼女がもう14年に続けていた。しかし、やがて最後には彼女は「日本語の達人/台湾人」になってなかった。社会の資源と親の心血を無駄になさせたなんて恥かしいと思うはずなのに、日本語学系を卒業した学生として、将来の就職のために自分の日本語能力を早く上達になさせないまま、日本語能力が下手なんて別に悪くないことだと正々堂々と言えてしまった。
この前の数十年間に、彼女はずっと「日本語」のことを追い掛けていた。数十年後の今、あるきっかけで四年前から彼女が振り返って台湾原住民族のことを注目し始めた。追い掛け/振り返りの間には、彼女が迷った、その間に自分の立場の微妙さに困られた、また「学術」「研究」の輪光/束縛を加えて、いつでも改変している自分の身分と立場の間にもより一層迷ってしまった。
困るうちに、「自分を語る=自分のライフストーリーを述べる」という方法と出会って、この方法で社会と主流と体制へ自分の声を発してみて、こだまが返ってくると期待しながらこのプロセスで彼女の疑問を解けられると望んでいた。同時に彼女もある程度の自分の考え方を実践していて、まるで実験するように自らで「論文がストーリーでできるか」という疑問の答えを勝負のつくまで探求した。たとえこのような実験の結果をもらった人が少ないといえないとしても、彼女に属する実験とは、まだまだ始まったばかりである。
最初彼女は自分ができる日本語を使って発声するつもりでいるが、途中でやっぱり自分が中文の考え方から離れないと気付いてから、代わりに中文で書いた下書きを日本語に「翻訳」をしたというやり方で表した。しかし、そのうちにまた自分の中にも日本語の考え方があると気付いた。彼女にとって、その二つの言語は別々の方向と考え方なので、同時に二つ言語で書いたバージョンを一緒に集める目的は彼女の言語能力を示すためではなくて、代わりに彼女に属する二つ言語で語った二つの彼女のライフストーリーを読む方向と角度を示したいだけである。
物語のもう一つの中心なのは、彼女の「漢人意識」ということである。「漢人意識」とは何かも彼女が確実に描写できないものだったのである。彼女に対して台湾原住民族に向き合うときに、彼女の「漢人」の部分がいつも提起されて、そして「漢人意識」も影のようにずっと彼女に附いている。しかし、この物語の中に彼女の「漢人意識」を具体的に表示するのは本当に難しい。台湾原住民族の存在で彼女の「漢人意識」を映されてきて、そして彼女が「漢人」に対する認識も転回されていた。
「自分のライフストーリーを述べる」とは、自分をみてから自分を再現することを通して、他人と各自の生命経験について交流する目的に達するという意味をする。この物語の中に、「ストーリー」とはドアを閉じて自分を対象として将来の鑑賞、読みと弔いのために記録されたプライベートな日記ではなくて、未知の大衆を対象として公開しようと思ってから発した「声」だったのである(他人と交流する前提で「日記を交換する」という例もあるが、対象の範囲はやっぱり特定的なものだから、意味はかなり違う)。
物語の前期には彼女はまるで溺れている人のように、狂乱の思想の波に浮いたり沈んだりしていて、ずっと救命バイを探していた。無理だと思って波に呑み込まれる直前に、いくつかの救命バイが波に乗って近づいてきた。その原因で物語の後期には、もし自分のストーリーを語ることでほかの溺れている人たちが呑み込まれないように助けてあげれば、もし自分の経験が思想の波に乗ってきた救命バイとして溺れている人たちを救えば、それでいいと彼女がそう思うようになっていた。
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