日本の真珠湾攻撃についての分析と評価

碩士 === 長榮大學 === 日本研究所 === 96 === 要  旨  日本は(1)明治維新以後、新しい制度を採用し、1889年大日本帝国憲法を発布し、立憲制を行い、富国強兵へ邁進した。(2)日清戦争で台湾を領有し、日露戦争で長春以南の南満州鉄道の利権を得た。(3)全満州を支配するつもりの日本軍は満州地方軍閥との衝突が激しくなった。(4)日本中央政府は「事態不拡大方針」であるが、関東軍はこれを無視して満州全域を占領した。(5)盧溝橋事変で一挙に中国との戦争に突入した。(6)新興植民帝国の日本は拡張主義路線を走り続けた。(7)中国における利益に関心を持っている米国との対立が深刻になって、...

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Main Authors: Chun-Chia Lai, 賴群家
Other Authors: Osamu Kida
Format: Others
Online Access:http://ndltd.ncl.edu.tw/handle/54144476904714304320
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spelling ndltd-TW-096CJU050780062016-04-29T04:19:45Z http://ndltd.ncl.edu.tw/handle/54144476904714304320 日本の真珠湾攻撃についての分析と評価 日本攻擊珍珠港之分析與評價 Chun-Chia Lai 賴群家 碩士 長榮大學 日本研究所 96 要  旨  日本は(1)明治維新以後、新しい制度を採用し、1889年大日本帝国憲法を発布し、立憲制を行い、富国強兵へ邁進した。(2)日清戦争で台湾を領有し、日露戦争で長春以南の南満州鉄道の利権を得た。(3)全満州を支配するつもりの日本軍は満州地方軍閥との衝突が激しくなった。(4)日本中央政府は「事態不拡大方針」であるが、関東軍はこれを無視して満州全域を占領した。(5)盧溝橋事変で一挙に中国との戦争に突入した。(6)新興植民帝国の日本は拡張主義路線を走り続けた。(7)中国における利益に関心を持っている米国との対立が深刻になって、米国は対日禁輸、資産凍結の対日制裁を断行した。(8)アメリカを牽制しようと考え、日独伊三国軍事同盟を締結した。それで日米間の戦争が起った。  戦争に勝つための条件には軍事力だけではなく、天然資源へのアクセス能力、工業生産力などの非軍事力も含まれる。日本は明治維新から軍備と生産の近代化に努め、やがて世界列強に追いついたが、石油、鉄鉱はアメリカからの輸入に依存していたので、石油の禁輸措置がとられると死活問題になった。1941年、アメリカの自動車生産量は年間400万台を超えており、日本は百分の一の4.6万台、開戦から終戦までの4年間、アメリカは30万機以上の航空機を生産したが、日本は僅か6万8千機を作ったのみであった。天然資源と生産力を見ただけでも、日米戦争は日本に勝ち目があるとは思えなかった。  日本は天然資源を手に入れるために南部仏印に進駐するつもりであった。しかしアメリカとの対立が深刻化し、アメリカとの戦いが避けられない状況になった。外交交渉に日米関係解決の可能性を見る日本は、拡張政策を続けながら、対米交渉も進めていた。アメリカはこのような日本の態度に不信の念を抱き、最後通牒の「ハル・ノート」を手渡した。日本側はアメリカの態度の硬化を読み取り、対米開戦を最終的に決定した。開戦劈頭に真珠湾攻撃が不可欠との信念で、補給、秘匿、天候、魚雷、種々予測困難な課題があるにもかかわらず、真珠湾攻撃を決行して、太平洋戦争の道へ踏み切った。  日本にはいろいろな難題があったが、天佑神助をたのむ機動部隊がいくつかの幸運に恵まれた。航行二週間、米国艦隊にも商船にも遭遇せず、風も波も予想より強くなく、一路東航を続けた。アメリカは、日本は長距離作戦能力がないと考えて、日米関係がいくら緊張しても、警戒強化の処置をとらなかった。真珠湾の奇襲は成功した。航空機による空襲大成功のハワイ作戦により、海戦で飛行機の艦船に対する優位が決定的となった。  第一撃後、米艦船はほぼ全滅し、航空機も殆ど破壊されが、港湾施設、石油タンクはまだ無傷で残った。南雲司令長官はこの戦果に満足したのか、直ちに帰途についた。日本軍の第二撃断念は、米軍にとっては不幸中の幸いであった。残っていた空母重巡部隊は、本土から補充された航空機と共に、直ちに反撃作戦をとった。もし石油タンクが破壊されていたら、残存米艦隊は半年ぐらい反攻できなかったであろう。  日中戦争が泥沼に陥りながら、日本はさらに米英蘭と開戦した。日本は本当に勝算ありと考えていたのだろうか。よく引用される山本五十六の言葉に「半年か一年の間は暴れまわって見せるが、二年、三年となれば全く確信がもてぬ」というのがある。首相の東条英機には「戦争の短期終結は希望するところにして、種々考慮するところあるも名案なし。敵の死命を制する手段なきを遺憾とす」と頼りない不安な発言があった。日本の指導者は戦勝の見通しがないまま、対米戦争に突入した。  米軍は指揮官の選抜を能力を重視で選ぶ。兵士の体と命を全力で護る。捕虜となることも容認する。それに対し、日本軍は体罰が日常茶飯事で、戦場では全滅するまで戦い、捕虜となることを厳禁していた。指揮官の任命は年功序列を重視して先輩が優先、後輩は能力があっても先輩を超えて選ばれないのが通例であった。指揮官の敗戦の責任も殆ど追及しない。日本は戦略資源が不足し、生産力も劣り、人事制度も非合理的で、これでは戦勝は到底無理であった。「日本はアメリカに真っ向から衝突を避けるために真珠湾攻撃を避けるべきであった」という結論になる。 Osamu Kida 喜田修 學位論文 ; thesis 78
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