前総統李登輝の対日観についての研究
碩士 === 長榮大學 === 日本研究所碩士班 === 93 === 李登輝は中華民国(台湾)の代表的な政治家で、また国際的な農業経済学者である。台湾人として中国国民党に入党し、そして法定代理総統として蒋経国晩年の「台湾化政策」による改革路線を継承した。総統任期内に民主化が推進されたことにより、総統選挙が民選になり、1996年総統選挙の直接民選により台湾史上初めての平和な政権交代を実現した。マスコミが活発化し、民衆が政治に高度な関心を持つ台湾では、前総統李登輝に関する報道は知らない人がいないほどの有名人である。台日関係に関心を持つ人は、近年マスコミで話題になった前総統李登輝の「対日観」に注目...
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2004
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ndltd-TW-093CJU000780012016-06-10T04:15:24Z http://ndltd.ncl.edu.tw/handle/58051411483339648187 前総統李登輝の対日観についての研究 前總統李登輝的對日觀之研究 HUANG BANG-RU 黃邦如 碩士 長榮大學 日本研究所碩士班 93 李登輝は中華民国(台湾)の代表的な政治家で、また国際的な農業経済学者である。台湾人として中国国民党に入党し、そして法定代理総統として蒋経国晩年の「台湾化政策」による改革路線を継承した。総統任期内に民主化が推進されたことにより、総統選挙が民選になり、1996年総統選挙の直接民選により台湾史上初めての平和な政権交代を実現した。マスコミが活発化し、民衆が政治に高度な関心を持つ台湾では、前総統李登輝に関する報道は知らない人がいないほどの有名人である。台日関係に関心を持つ人は、近年マスコミで話題になった前総統李登輝の「対日観」に注目する。「台湾人に生まれた悲哀」、「二十二歳までは日本人だった」、「尖閣列島は日本領土」「靖国神社への参拝を支持する」など、李登輝の親日発言はよく知られ、議論されている。さらに「李登輝は日本人である」という噂のような説も出てきた。しかし、今まで李登輝に関する大半の世論や報道などの中心は、ナショナリズム的な視点から論じられ、また国民党との紛争や中台関係の政策に焦点をあてる傾向がある。台湾固有の多元文化の歴史経験を持つ国家元首、台湾の元日本人として欠かせない代表人物「李登輝」の日本統治時代に受けた教育や、日本的教養を身に付ける成長背景から生み出される対日観については、あまり深くふれられることがなかった。 そのため、本研究は以下のいくつかの要因を重点として考える。李登輝の日本統治下での家庭関係や、日本の教育からの影響、アメリカ留学経歴、共産党入党事件、キリスト教への入信、政治家としての風格、任期内に実施した台日外交政策と、さらには退任後の台日関係に影響力を与えていると思われる言動などを併せて考察し、李登輝の対日観の分析を行う。 まず第一章では筆者が「李登輝の対日観」を研究する動機を述べ、今までの先行研究を簡略に取り上げ、本論の研究方法および研究構成を提示する。第二章から本論に入り、李登輝の出身から対日関係を考える。皇民化された家庭出身や、受けた日本の教育について、李登輝の日本統治時代における日本関係の背景を明らかにする。さらに李登輝と同世代の友人達と、日本人の友人との付き合い及び李登輝に対する印象などを論ずる。「光復」後の本省人と外省人の感情的対立を考察し、李登輝の対日観への影響を考える。第三章は李登輝が学者から政治家になり、総統に選ばれた経緯を簡単に取り上げて論ずる。第四章は主に李登輝の対日発言及び著作の論点を取り上げて研究する。訪日をめぐる紛糾や対日言動に関わる論点を集め、さらに李登輝が自作で取り上げた日本の武士道精神を考察し、李登輝の思想、理念への影響を併せて考察する。結論では李登輝の成長環境の特徴、政界での背景、総統就任後から12年にわたる、任期内で実施した台日外交及び政策の成果、及び親日発言が台日の政界に与えた影響についての分析を試みる。 李登輝が生まれた当時(1923年)、台湾は日本統治下で既に28年が過ぎていた。日本の台湾統治は既に安定しつつあった。人生で一番重要な時期に、日本の教育と日本統治政策に従って22年を過ごした李登輝は、皇民化された日本人としてのアイデンティティー、及び恵まれた学歴と家庭環境のため台湾人「エリート」としての誇りが生まれた。しかし国府時代に入って2.28事件が起り、それまでの「日本人としてのアイデンティティー」や「エリート」としての誇りはすべて失った。かつて共産党に関わる読書会に参加した経験があり、政治犯として捕まえられて殺される恐れもあった。そんな時、国民党に入党するチャンスがあり、出世や自分の理念を実現するため敢えて国民党に入党、学者から政治家に転身した。日本の教育から学んだ知識や忍耐力を十分に生かし、ついに初めての台湾人総統となった。日本の書籍により勉強した知識や価値観を持ち、これらを政策方針に取り入れた。またキリスト教信仰とアメリカ留学経験に基づき民主化や、台湾独立の思想を徹底的に実行する考え方が生まれた。その親日感情は政界に参加していた後は表に出さなかったが、民選総統に当選してからは親日言動をあらわにし、それまで断絶された台日外交をその親日発言や訪日により、進展させようとした。親日総統の政策下で、日本の大衆文化も台湾の若者世代の間で流行し、古い日本語世代と一緒に台湾は世界一の親日国になった。 「観念」というものは個人の経験により異なるが、李登輝の経歴からその言動に見られる「対日観」を研究するには、台湾史観や台湾政界内幕、台日双方のマスコミの世論、台日外交資料まで参考に使用した点においては、本論は特にユニークなものだと自負する。前述したように、成長環境、教育経歴、総統任期内と退任後の諸点を考慮し、研究と分析を行う以外に、李登輝の対中関係や、台湾独立の意識も併せて考察する。1972年日中国交正常化以来、かえって台日関係がより密接化された。「李登輝の対日観」の研究を通じ、対日関係の発展に寄与することを希望している KITA OSAMU SEN WEN-LIANG 喜田修 沈文良 2004 學位論文 ; thesis 90 |
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碩士 === 長榮大學 === 日本研究所碩士班 === 93 === 李登輝は中華民国(台湾)の代表的な政治家で、また国際的な農業経済学者である。台湾人として中国国民党に入党し、そして法定代理総統として蒋経国晩年の「台湾化政策」による改革路線を継承した。総統任期内に民主化が推進されたことにより、総統選挙が民選になり、1996年総統選挙の直接民選により台湾史上初めての平和な政権交代を実現した。マスコミが活発化し、民衆が政治に高度な関心を持つ台湾では、前総統李登輝に関する報道は知らない人がいないほどの有名人である。台日関係に関心を持つ人は、近年マスコミで話題になった前総統李登輝の「対日観」に注目する。「台湾人に生まれた悲哀」、「二十二歳までは日本人だった」、「尖閣列島は日本領土」「靖国神社への参拝を支持する」など、李登輝の親日発言はよく知られ、議論されている。さらに「李登輝は日本人である」という噂のような説も出てきた。しかし、今まで李登輝に関する大半の世論や報道などの中心は、ナショナリズム的な視点から論じられ、また国民党との紛争や中台関係の政策に焦点をあてる傾向がある。台湾固有の多元文化の歴史経験を持つ国家元首、台湾の元日本人として欠かせない代表人物「李登輝」の日本統治時代に受けた教育や、日本的教養を身に付ける成長背景から生み出される対日観については、あまり深くふれられることがなかった。
そのため、本研究は以下のいくつかの要因を重点として考える。李登輝の日本統治下での家庭関係や、日本の教育からの影響、アメリカ留学経歴、共産党入党事件、キリスト教への入信、政治家としての風格、任期内に実施した台日外交政策と、さらには退任後の台日関係に影響力を与えていると思われる言動などを併せて考察し、李登輝の対日観の分析を行う。
まず第一章では筆者が「李登輝の対日観」を研究する動機を述べ、今までの先行研究を簡略に取り上げ、本論の研究方法および研究構成を提示する。第二章から本論に入り、李登輝の出身から対日関係を考える。皇民化された家庭出身や、受けた日本の教育について、李登輝の日本統治時代における日本関係の背景を明らかにする。さらに李登輝と同世代の友人達と、日本人の友人との付き合い及び李登輝に対する印象などを論ずる。「光復」後の本省人と外省人の感情的対立を考察し、李登輝の対日観への影響を考える。第三章は李登輝が学者から政治家になり、総統に選ばれた経緯を簡単に取り上げて論ずる。第四章は主に李登輝の対日発言及び著作の論点を取り上げて研究する。訪日をめぐる紛糾や対日言動に関わる論点を集め、さらに李登輝が自作で取り上げた日本の武士道精神を考察し、李登輝の思想、理念への影響を併せて考察する。結論では李登輝の成長環境の特徴、政界での背景、総統就任後から12年にわたる、任期内で実施した台日外交及び政策の成果、及び親日発言が台日の政界に与えた影響についての分析を試みる。
李登輝が生まれた当時(1923年)、台湾は日本統治下で既に28年が過ぎていた。日本の台湾統治は既に安定しつつあった。人生で一番重要な時期に、日本の教育と日本統治政策に従って22年を過ごした李登輝は、皇民化された日本人としてのアイデンティティー、及び恵まれた学歴と家庭環境のため台湾人「エリート」としての誇りが生まれた。しかし国府時代に入って2.28事件が起り、それまでの「日本人としてのアイデンティティー」や「エリート」としての誇りはすべて失った。かつて共産党に関わる読書会に参加した経験があり、政治犯として捕まえられて殺される恐れもあった。そんな時、国民党に入党するチャンスがあり、出世や自分の理念を実現するため敢えて国民党に入党、学者から政治家に転身した。日本の教育から学んだ知識や忍耐力を十分に生かし、ついに初めての台湾人総統となった。日本の書籍により勉強した知識や価値観を持ち、これらを政策方針に取り入れた。またキリスト教信仰とアメリカ留学経験に基づき民主化や、台湾独立の思想を徹底的に実行する考え方が生まれた。その親日感情は政界に参加していた後は表に出さなかったが、民選総統に当選してからは親日言動をあらわにし、それまで断絶された台日外交をその親日発言や訪日により、進展させようとした。親日総統の政策下で、日本の大衆文化も台湾の若者世代の間で流行し、古い日本語世代と一緒に台湾は世界一の親日国になった。
「観念」というものは個人の経験により異なるが、李登輝の経歴からその言動に見られる「対日観」を研究するには、台湾史観や台湾政界内幕、台日双方のマスコミの世論、台日外交資料まで参考に使用した点においては、本論は特にユニークなものだと自負する。前述したように、成長環境、教育経歴、総統任期内と退任後の諸点を考慮し、研究と分析を行う以外に、李登輝の対中関係や、台湾独立の意識も併せて考察する。1972年日中国交正常化以来、かえって台日関係がより密接化された。「李登輝の対日観」の研究を通じ、対日関係の発展に寄与することを希望している
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